犯罪を繰り返した知的障がい者の「やっぱり戻りたい」という言葉 受け入れる支援施設と近隣住民の反対

凸凹村管理人

軽度の知的障がいと自閉症の傾向があるYさんは、過去に逮捕歴があり、2007年には大きな事件を引き起こしてしまいました。

Yさんは障がい者支援施設ゆうとおんに戻りたいと願いましたが、地域の反対や行政の圧力が彼を取り囲んでいました。それでも、彼の心は変わることなく、ゆうとおんに戻りたいという思いで満ちていました。

その思いを受け止めたのは、施設のスタッフでした。彼らはYさんの望みを尊重し、彼を受け入れました。今、彼はゆうとおんで仲間たちと穏やかな日々を過ごしています。事件後、彼を支えるために結成された支援者のグループも、役割を果たし、「発展的に解散」しました。

最初の事件

2007年1月、近鉄八尾駅前の歩道橋で、クッキーを販売していた男が、突然3歳の男の子を抱きかかえ、地面に落としました。その男がYさんでした。男の子は一命を取り留めましたが、重傷を負い、後遺症が残りました。

知的障がい者による事件は、近年多くの報道がなされています。2001年4月のレッサーパンダ事件などがその一例です。これらの出来事は社会において議論を巻き起こし、人々の心に深く刻まれました。

それでも、Yさんのような人々に対する理解と支援が必要です。彼らは特別な配慮と支援を必要としながらも、社会の一員として尊重されるべきです。彼らの望みを尊重し、彼らが尊厳を持って生きることができるよう、私たちの社会は更なる努力を払う必要があります。

触法障がい者、累犯障がい者

法を犯す障がい者は一般的に“触法障がい者”と呼ばれ、中でも犯罪を繰り返す人々は“累犯障がい者”とされています。彼らの刑務所での実態は、元衆院議員の山本譲司氏の著書で詳しくクローズアップされました。

ゆうとおんの名前は「You(r) tone」に由来しています。この施設は、八尾市の職員だった畑健次郎さんと土橋恵子さんが1996年に設立した授産施設で、その後、社会福祉法人として発展しました。彼らはどのような人であっても属性で判断せず、本人が望むなら受け入れるという理念を貫いています。

利用者と支援者を分け隔てない「ともに生きる」支援で知られ、障がいの重度な人から軽度な人、さまざまな事情を抱えた利用者が集まっています。

「八尾事件を考える会」

事件後、テレビで畑さんが責任を取る姿が放送され、それを見た障がい福祉の関係者らが「八尾事件を考える会」を立ち上げました。この会は、同様のリスクのある人々を支援し、地域社会での生活を支援することを目指しています。彼らは月に1度のペースで会合を開き、裁判の傍聴や面会支援などの活動を行っています。

取り調べでYさんが語ったところによれば、彼の犯行の動機は「大きな事件を起こせば、ゆうとおんに戻らなくて済む」というものでした。彼は比較的障がいが軽く、利用者の中でリーダー的存在でしたが、当時は1人の女性利用者との関係に悩み、その問題を解決できませんでした。2008年12月の大阪地裁判決では、彼の心神耗弱が認められつつも、懲役5年6月が言い渡されました。

時には支援者のような振る舞い

Yさんがゆうとおんにやってきたのは1999年でした。それまで彼は府立の施設に入所していましたが、無断外出や子どもの連れ去り事件を起こしたことで、施設側は彼を放り出すことを決断しました。家族は途方に暮れ、地域の障がい者施設であるゆうとおんに連絡し、彼を引き受けてもらうことになりました。

Yさんは優しい性格で、冗談を言って周りを笑わせる気さくな人でした。しかし、彼にはきちょうめんで融通が利かない一面があり、ルールや決まり事に厳格で、それを守れない人に対しては我慢ができなくなることもありました。彼は利用者の中で多くのことができるため、時には支援者のような振る舞いも見せることがありました。

幼い頃に両親が離婚し、双方を行ったり来たりする不安定な生活を送りました。学校では同級生からのいじめに苦しんだり、初めての就職先で激しいいじめに遭ったりと、彼の人生は困難な道のりでした。

本当の意味での反省が伝わらない

同年代や成人相手ではなかなか対等な関係を築けないため、彼は小さな子どもに興味を持ち、保護者の目を盗んで子どもを連れ出す行動が増えていきました。

しばらく子どもと遊んでいると、彼は子どもが泣き出すとどう対処すれば良いか分からなくなり、時には暴力を振るうこともありました。このような行動が彼を逮捕することもありました。

幼児の連れ去り行為は、ゆうとおんに入所してからも続きました。しかし、畑さんや土橋さんは彼を見捨てませんでした。彼らは「分けない、切らない、共に」という信念を持ち続け、Yさんも彼らに深い信頼を寄せていました。

Yさんは刑期を終え、社会に戻る際、「再犯しないこと」が最も重要な約束事とされることを理解していました。しかし知的障がいのため、自らの行動の動機をうまく言葉で表現することが難しく、また、事件に対する反省もまだ消化しきれていない状況でした。

彼はいつも謝罪や反省の言葉を繰り返しながらも、その表面的な態度から、本当の意味での反省が伝わりにくいことを自覚していました。

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