映画「奈緒ちゃん」障がいを持つ女性と家族の50年の「記憶」

凸凹村管理人

伊勢真一さんが撮り続けた「奈緒ちゃん」シリーズの5作目が、製作されています。主人公である奈緒ちゃんが50歳になり、これまでの家族との歩みが「記録というより記憶」から描かれます。伊勢監督にとっても集大成の意味を持つこの作品は、4月下旬の完成に向けて追い込みがかけられています。

奈緒さんは重度のてんかんと知的障がい

伊勢監督と主人公の母である西村信子さんは、東京都内の「いせフィルム」事務所や支援者の会社に間借りしている編集室で打ち合わせや編集作業を続けています。前作から7年、新作「大好き~奈緒ちゃんとお母さんの50年~」は、信子さんが昨年80歳になり「終活」を始めたことをきっかけに製作がスタートしました。

信子さんは伊勢監督の実姉で、1973年に奈緒さんが生まれました。奈緒さんは重度のてんかんと知的障がいを抱えており、医師からは長く生きられないかもしれないと言われました。信子さんは自責の念に駆られましたが、専門病院への転院や地元の人々、そして幼稚園との出会いが奈緒さんの成長を支えました。

「自分と自分の家族に置き換え、自分のこととして捉えている」

83年の正月、横浜市の西村家で撮影が始まりました。当時9歳だった奈緒さんと、夫の大乗さん、そして77年に生まれた長男の記一さんとの4人家族の日常を綴った第1作「奈緒ちゃん」は、奈緒さんが成人するまでを追った作品で、1995年に完成しました。この作品は伊勢監督の長編デビュー作でもあり、毎日映画コンクール記録文化映画賞などを受賞しました。

信子さんは、「最初は家族の記録を撮ってもらって、自分たちで見るつもりでした」と振り返りますが、「後悔がいっぱいありました」とも述べています。しかし、作品が公開されると、反響は予想外のものでした。「自分と自分の家族に置き換え、自分のこととして捉えている。障がい者の家族という意識で見ていない人が圧倒的に多くて驚きました。それ以来、映画は見る人のためのものなんだと」、と語ります。

「ここには幸せが映っている」

伊勢監督の作品は、被写体の日常においてカメラが存在しないかのように感じられます。信子さんは「ここは撮っていいかとか聞かないで、掃除してない所や片付けてない所も撮る」と笑いますが、障がいを持つ地域の仲間やその家族も撮影を嫌がりませんでした。

作品では、気が休まらない日々や思わず手を上げる場面、奈緒さんの世話や夫婦の食い違いなどが描かれます。しかし、98分の映像を見終えると、天真らんまんな奈緒さんを中心にした家族の成長が、見た人の心に深く響きます。

伊勢監督とともに「福祉映画にはしない」と決めて撮影を行った瀬川順一さん(故人)は、完成後、「ここには幸せが映っている」と語りました。95年は地下鉄サリン事件や阪神大震災などの悲劇が続いた年でしたが、伊勢監督は「何かしらの希望を感じてもらえたかもしれない」と振り返ります。

撮影中に発作を起こしたことがある

やがて信子さんは、障がいを持つ子どものいる母親たちと共に内職を始め、それが作業所に発展していきます。その歩みを描いた第2作「ぴぐれっと」は、2002年に完成しました。「ありがとう」では、奈緒さんが自宅を出てグループホームで仲間と生活するまでの成長が描かれ、2006年に公開されました。そして第4作「やさしくなあに」は、2016年に相模原市で起きた知的障がい者福祉施設での事件を受けて、製作への意識と意欲が高まり、翌年に公開されました。

幼い頃から奈緒さんは撮影が楽しみで、その間は体調も良かったが、一度だけ、撮影中に発作を起こしたことがあります。スタッフは慌てましたが、カメラを回し続けることや作品に取り込むことにも躊躇がありました。しかし、奈緒さんは作品を黙って見守っていました。「これが私だから、という思いが伝わってきた」と伊勢監督は語ります。

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