国内最高齢の女性監督、山田火砂子さんの新作映画『わたしのかあさん―天使の詩―』が公開されました。山田監督は、43歳で再婚した映画監督の夫・山田典吾さんを支えながら映画製作に取り組み、今では自らも監督として社会福祉や女性の地位向上、戦争といったテーマを扱い続けています。
彼女の作品には、「私が当事者である」という強い意識が根底にあります。その情熱は、時には困難に直面しても決して消えることはありません。山田監督の作品は、その芸術性と社会性が見事に融合し、観客に深い感銘を与えることで知られています。
夫婦で映画をつくるという理想に燃えて
夫婦で映画をつくるという理想に燃えていた43歳の映画監督の山田典吾さんと再婚した山田火砂子さん。彼女は典吾さんを「いい加減な男」と振り返ります。彼は医者の息子で、助監督として東宝に入社し、後に芸能部の部長となりましたが、組合運動や共産党活動にのめり込み、会社を辞めて「現代ぷろだくしょん」を設立しました。
「お金のことがまったくわかっていなかった」
「坊ちゃん育ちでお金のことがまったくわかっていなかった」と山田さんは述懐します。たとえば、小林多喜二原作の『蟹工船』を製作した際、俳優の山村聰が監督・脚本を務める中で、典吾さんはリアリズムを追求し、実際に工場を造ったということです。「今のお金で何億という額を使っちゃったんじゃないの?」と山田さんは語ります。
理想に燃えた時期もあったが現実は厳しかった
最初に典吾さんが近づいてきたとき、山田さんは「女優に復帰できるかも」と期待しましたが、それは見込み違いでした。典吾さんは東宝にいたものの、管理職として現場のことがわかっておらず、結局山田さんが裏方の仕事を担うことになりました。「2人で障がい者映画をつくろう」と理想に燃えた時期もありましたが、現実は厳しかったのです。
困難を乗り越えた映画製作の道
困難を乗り越えた映画製作の道に進んだ山田火砂子さんは、43歳のときに映画監督の山田典吾さんと再婚しました。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。当時の映画界は完全に男社会であり、山田さんは子どもを家に置いておけないため現場に連れて行くと、「子連れ狼と仕事しなきゃいけないなんて、冗談じゃない」となじられることもありました。社長の妻という立場も何の助けにもならず、甘い世界ではなかったのです。
借金取りが押しかけてくることも日常茶飯事
借金取りが押しかけてくることも日常茶飯事で、典吾さんからは「プロデューサーはお金を出すのが仕事だ」と言われることもありました。山田さんは、ありったけのフィルムを買い込み、幼い娘たちのリュックに詰め込んでロケ地まで運んだこともありました。誰もお金の管理ができなかったため、彼女が裏方の仕事を続けざるを得なかったのです。